2025年11月29日
今回は高野山奥の院を巡る旅です。バスは約40人乗り
中型バス1台での運行で、ほぼ満席の状態でした。
まず名古屋高速から東名阪自動車道に乗り、三重県関
へ、ついで名阪自動車道で奈良県天理まで行きました
。途中伊賀上野市や奈良県山添村、都祁町(奈良市内
)を通りました。さらに西名阪自動車で大和郡山、次
いで京奈和自動車道で五条市、和歌山県橋本市を過ぎ
、紀州かつらぎからひたすらの上り国道480号で最後
に高野山道へ入って高野町に着きました。
道の北側に高野山の社寺群が展開していましたが、名
古屋を出て途中の工事渋滞もあって4時間半、もはや
昼時に入っていました。道脇のレストランで焼き松茸
と牛すき煮の昼食をいただくことになりました。お銚
子の熱燗2合を注文しました。焼き松茸はスダチをか
けていただきました。

昼食後に時間の関係で高野山の寺社境内は回らず、そ
のままにバスで中の橋から奥の院の境内に入りました
。奥の院は開山、弘法大師をお祀りしてある御廟をは
じめとする墓地境内です。鬱蒼とした杉の巨木のなか
、名だたる武将や企業の供養塔が林立しています。変
わった所では旧日本陸軍の部隊のものもあります。
さすがお大師様の余徳は大変なもので林立する墓碑は
20万基を超えるとされています。

御供所の先の御廟の橋から奥は撮影不可の聖域です。
因みに御供所では朝夕2回お大師様にさしあげる食事
を調進し、聖域内の燈籠堂にお供えするとのことです
。燈籠堂は御廟前の拝殿に当たり、お大師さんが遷化
された平安の昔から1000年以上にわたりお灯明の明か
りが絶えることなく、ご僧侶の方々が読経をされてい
ました。
燈籠堂内にはお大師さんを象った多くの小像には遺骨
や遺髪を収めた方々の名前がありました。遺骨や遺髪
は奥の御廟左脇の納骨堂に収められています。少しで
もお大師さんの脇に永くいたいという信心のあらわれ
と拝します。お大師さんが入定された御廟の地下は岩
でふさがれ近づくことはできません。参拝者は燈籠堂
の地下にある廊下から、何10m先に眠っておられるお
大師様に祈りを捧げることができます。
中の橋に戻って帰途に就きました。バスで町中の土産
物屋に案内され、角濱のごまとうふと金山寺味噌を求
めました。とうふはつけあわせの醤油と生わさびで、
味噌ははだか麦入り甘口でそのまま、後日ごはんの友
として賞味しました。帰りの道はおおむね行きの道
と逆の道筋です。帰りのバス内から高野山の寺社境内
に入る大門を撮りました。いつか寺社の境内には宿坊
に泊まって訪れたいとおもいます

行きの道をそのまま逆行すると名古屋に着くのは午後
8時を優に回るので、途中から工事の渋滞のない新名
神自動車道に入り途中立ち寄った菰野(湯の山)ICで
、クリームパン1つとお茶を買い、夕食前の小腹を満
たしました。バスはそのまま伊勢湾岸自動車道へ進み
最後に名古屋高速道路から名駅前に帰着しました。
因みにバスの運転手とガイドさんは女性ということで
、道中のお世話を謝しバスを降りました。
旅の経験談30(高野山奥の院を巡る旅)はこれで終
わりです。続編も投稿したいとおもいます。
最後になりますが、(株)Vector様のサイトに「旅先
情報データベース」を紹介していただいています。
Googleほかのサイトに「旅先情報」のキーワードで検
索いただくと、紹介のサイトが現れます。このサイト
から上記データベースをダウンロードできますので、
あわせてご活用いただけたらと存じます。以上